女性の言葉を押さえつけるもの

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こんにちは。
春分を過ぎ、暖かくなってきましたね。

今回は最近読んだ本で、『ガスライティングという支配ー関係性におけるトラウマとその回復』の内容を少し紹介しながら、最近思ったことについてお話しようと思います。

ガスライティングについて、以下のように紹介されていました。

  • ガスライティングという用語は、心理的な手段によって、相手に「わたしは正気なのか」と自分自身を疑わせるように仕向けること、と定義されています。
  • この用語は、対人関係における心理的操作を表す言葉として、2010年代半ばに、米国のセラピスト業界で使われ始めました。

SNS等では2018年ごろから使われ出したようで、認知されたのは比較的最近かもしれません。

しかし、ガスライティングがどういうものなのかを聞くと、古くからある、もしかしたら誰もが経験したことがあるものかもしれません。
本書では代表的なテクニックとして7つ紹介されていました。

その一つが「否認」です。
これは、加害者が自分の行動に対する責任をとらないことで、「そんなことはやってない」「お前が悪いんだ」などと言ったりします。

矮小化」というものもあります。
被害者が自分の思いを述べているときに、「感情的すぎる」「おおげさだ」「なんでそんなにネガティブなんだ?」と言い、相手の話を軽んじます。

ステレオタイプ化」では、「警察がお前の言うことなんか信じるもんか」「女はいつも騒ぎすぎる」など、過度な一般化を用いて、被害者が間違っているとか、信用に値しないと思われる理由を示そうとします。

こうした言葉をかけられ続けると、「私がおかしいのかな?」「相手が正しいのかも」と思うようになり、自分のことが信じられなくなります。
ガスライティングをする人(ガスライター、加害者)は、相手との関係を揺さぶり、相手をコントロールするためにこうした行動をとります。

カップルや家族間など、親密な関係でのガスライティングを思い浮かべやすいですが、社会のなかでもガスライティングが生じることがあります。

社会的ガスライティングとしてよくあるのが女性を無力化するガスライティングであり、女性がターゲットにされやすいものです。社会的ガスライティングは、職場、学術界、政府、メディア、医療機関、その他あらゆる社会構造のなかで広く起きています。

こうしたことを読んで思うのが、今年に入って話題になっている、伊藤詩織さんが監督した映画「ブラック・ボックス・ダイアリーズ」の報道です。

使用している映像の許諾問題にばかりフォーカスされていますが、問題の本質はどこにあるのか、とどうしても思ってしまいます。

伊藤さんが実名で声を上げた2017年から、どれほどの社会的ガスライティングを受けてきたでしょうか。
伊藤さんはインタビューで、「被害者として求めた捜査が尽くされ、逮捕状も執行され、刑事司法で裁かれていたら私は記者会見をしなかったでしょう」と話されています。
事件後に会った何も知らない無邪気な妹、彼女や次の世代のために語っていこうと決めたそうです。

私がフェミニズムの勉強をし始め、社会に還元するためになにかしたい、と考えているのも、やはり次の世代のため、子どもたちがよりよい社会で生きていってほしいと願うからです。

そして心理士として、もし被害にあった人がいたとして、加害者の処罰が何もされないままで野放しにされ、さらに被害者の声まで抑圧されてしまったら、どうよりよく生きていけるのだろうか、と考えてしまいます。

フジテレビ問題では渡邊渚さんはエッセイを書かれましたが、被害を受けた人が自分がどのような経験をしてきたのか、どう扱われてきたのか、言葉を紡ぎ続けていくことはとても大事なことだと思います。そして、それが自分のことを信じることにつながり、ガスライティングを解くカギにもなります。

許諾の問題はもちろんあるのでしょう。しかし、日本での性犯罪に関する問題はそれ以上に山盛りです。日本での映画の公開を妨げ、日本での議論が進まないままにしておくのが本当に社会のためなのか。

なんだかとってもラディカルなことを書いてしまった気もするのですが、ここ最近ずーっともやもやしていたことだったので、書けてよかったかも、とも思います。

興味がある人は『ガスライティングという支配』、読んでみてください。
そこからどう抜け出すのか、そしてどうセルフケア、セルフエンパワメントしていくのかも書かれています。


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