ジェンダー・セクシュアリティの授業での学び
こんにちは。
今年度、4月から受講していたジェンダー・セクシュアリティの講義がもうすぐ終わろうとしています。
春学期と秋学期、それぞれ15回の講義があり、前半は基礎講座、後半は基礎演習ということで、グループでお話しする機会も多くありました。
講義のなかでは、「ジェンダー」と冠しつつも、人種や奴隷制、セクシュアリティなど、さまざまなマイノリティやマイノリティ性について触れられていました。
今まであまり考える機会のなかった植民地についてや、サドマゾヒズムなんかについても知る機会になりました。
秋学期は、自分の興味関心についてグループで話し合ったり、スライドを作成して発表したり。そして最終的にはレポートにまとめる、ということで、目下取り組んでいるところです。
今回、レポートではコミュニケーションについて考えたいと思っています。
コミュニケーションは、心理学でも大きなトピックになっているものです。
言語・非言語コミュニケーション、傾聴、アサーション、ゲーム理論、自己理解、他者理解・・・
コミュニケーションにまつわるキーワードはたくさんあります。
そんななかで、私が取り上げたいのは、コミュニケーションのなかで構築される上下関係や、上下関係意識の内面化です。
意外とこうした事柄について、心理学の領域では扱ってないような、気がします。
今回こうした事柄について考えるきっかけになったのは、「分析フェミニズム」というジャンルに出会ったからでした。
現象学や認識論、フェミニズム哲学、分析フェミニズム・・・
なかなか耳慣れない言葉ばかりだったのですが、今までとは違う角度からコミュニケーションについて触れることができ、新鮮な気持ちがしました。
コミュニケーションのなかで生まれる上下関係
レポートのキーワードとなるのは、「認識的暴力」という言葉です。
これは、「周縁化された集団の声が封殺される現象」という意味で、「認識的」というのは、「知識」や「理解」に関わるものを指します。
認識的暴力というのは、例えば、アメリカにおいて黒人やアジア人の声が無視されたり、誰かの発言が「信用できない」ものとして扱われたりすることです。
「周縁化」というのは、社会の中心から外れた、というような意味で、マジョリティに対するマイノリティを指します。また、数の多い少ないというより、社会構造のなかで、相対的に優位で特権的な立場に対し、相対的に劣位に置かれた、と考えることもできます。
そう考えたときに、人口の半数を占める「女性」も、社会構造の中で不利な立場に置かれた、と考えると、「周縁化された集団」と考えることができると思います。
「女性である」ことで、発言を無視されたり、同じことを言っても、男性社員と女性社員とでは扱われ方が異なる、ということも、まだまだみられる現象かもしれません。
こうしたことは、日常的なコミュニケーションのなかでも、無意識的に行われてることが多く、もし「意識的に」されているとしても、倫理的な観点で、表立って「だって女だからさ」と言われることは減っていると思います。もしくは、「「女性だから」ではない」、という言い訳がなされているかもしれません。
そう考えると、無意識であっても、意識的であっても、認識的暴力を受けた側はそれについて声を上げることが難しく(声を上げると「勝手に騒いでる」とされたり?)、もやもやしたまま終わってしまう、ということもあるかもしれません。
こうしたことが、もしかすると、コミュニケーションにおいて、上下関係の構築に関わっているのでは?と思っています。
言葉が固くてとっつきづらさはあるのですが、わかるわかる!と思える部分もたくさんあり、興味深かったです。
また、言葉を知ることで見えてくる現実もあるのではないかと思います。
気になる方は、ぜひ参考文献も読んでみてくださいね。
(参考)『分析フェミニズム基本論文集』7章 認識的暴力を突き止め、声を封殺する実践を突き止める、クリスティ・ドットソン
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